<ぷち旅>
小田原 青色申告会 発行 青色NEWS WEB
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国府津をお散歩
  3つのホームと5つの線路を持つ国府津駅。明治20年に新橋から国府津間に鉄道が開通したのがその歴史の始まりです。また、その翌年には国府津から小田原を経由し湯本へと続く馬車鉄道が開通するなど、古くから交通の要所として多くの人に利用されています。また、東海道本線で最初に駅弁を売り出したのも国府津駅であったと伝えられています。当時の駅弁は、握り飯と沢庵のみだったとか。
  駅前の信号を渡るとすぐ、正面には明治20年創業の老舗旅館『国府津館』が。幸田露伴、柳田国男、太宰治など多くの文人達が訪れた、歴史ある旅館です。
  国道1号線を小田原方面に下っていくと、今度は大きな石碑が左手現れました。さらにその奥には石造りのお堂が見えます。石碑には「親鸞聖人勧堂跡石碑」と書かれています。何でもかの有名な親鸞聖人が国府津に草庵を建て、七年間もこの地に滞在し、布教活動をされたのだとか。石造りのお堂の向うには、深い青色をたたえた相模湾を望むことが出来ます。親鸞聖人も、ここから相模湾の絶景を眺めたりしたのでしょうか。美しく広がる海を眺めながら、そのような考えが頭をよぎりました。
  歩道まで美しく整備された国府津の国道一号線沿い。そこに、大正や昭和初期を思わせる古い建物が、ぽつぽつと点在しています。縁取りや壁面の一部に文様が凝らされた洋風の外観。しかしその横に回ると、壁の中ほどから背面へ、和風の家屋に切り替わっています。大正末期に誕生した看板建築と言う、住居を兼ねた商店に多く使われた建築手法です。表から見える一部の外壁をモルタル塗りにして洋風に見せながらも、裏側と中は一般的な町屋と変わらぬ作りをしているのだとか。看板建築の他にも普通の家と家の間にふと、蔵と思しき建物が現れるなど…日常にちょっと不思議を練り込んだ様な光景に、度々心が躍ります。
  さて、親鸞の石碑から更に10分ほど歩いて、学問の神様として有名な菅原道真を祀る菅原神社に到着しました。この神社には、わらべ歌『とおりゃんせ』の歌詞の全文が彫られた石碑があります。菅原道真の別名は『天神様』、その天神様を祀る菅原神社へお参りするのに、箱根の関所を通るのが『行きはよいよい帰りが怖い』と、歌われたのだとか。帰る前に、巨大な椋のご神木の木陰で一休み。心地良い風が吹いて、緑の葉がさわさわ擦れ合う、優しい音が耳に届きます。
  往復20分ほどの短い間に、色々な歴史に触れることの出来たぷち旅でした。










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