<ぷち旅>
小田原 青色申告会 発行 青色NEWS WEB
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箱根エリア<入生田>
石垣山一夜城・2
 秀吉は北条氏の居る小田原城から見えないよう山頂の林を利用して城を隠し、天生18年4月から6月まで約80日間掛けて城を築きあげました。最後に周りの木を伐採することで、北条氏軍勢には一夜で城が出来たように思わせた事が「一夜城」と言う名前の由来です。一夜城は、ごろりと大きな石の形を整えずそのまま使った、野面積みの総石垣の城だったそうです。ところどころ積み重なっている岩が、辛うじて当時の城の面影を偲ばせます。
  石垣山一夜城歴史公園の中へ、案内板のちょうど後ろにある整えられた道から、二の丸に向かいました。二の丸は一見すると広い草原。シートやお弁当を持ってきてここで食べたら、さぞかし気持ちが良いことでしょう。沢山歩いて疲れた身体にさわやかな気持ちが蘇ります。ちょっと奥に行くと、箱根入生田の方角が良く見える展望台がありました。
  絶景にリフレッシュした所でもう一度二の丸に戻り、更に上ります。本丸に上がると、ここにも展望台が。木々やビルの向こうに隠れ小田原城を望むことは出来ませんでしたが、小田原の街並みと海のパノラマを眺めに思わず溜息。たっぷりと山の自然を堪能した後だからか、青い海は目に新鮮に映りました。建物が豆粒のように小さく見えるこの場所から、かの秀吉も天下取りの大きな志を持って、小田原を見下ろしたのでしょうか。
  本丸から天守台へ、更に高みへと登ります。短い坂の入り口を塞ぐような大きな石は、今も天守閣を守っているように感じました。松尾芭蕉の読んだ「夏草や兵どもが夢の跡」とは、正にこの事を言うのでしょうか。小田原を統治し、織田信長に次いで天下統一を成し遂げようとした秀吉の城のひとつも、今は深い緑や沢山の花に囲まれ、訪れた人々の心を癒す公園となっているのです。
  歴史の深さ、そして時が経つことの儚さ。文字を追うだけでは学べないものを、体感できたぷち旅でした。










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