<連載読み物>
小田原 青色申告会 発行 青色NEWS WEB
青色NEWS WEB

2004年8月号〜2005年6月号
孫子の兵法

1 兵は国の大事・・・






 
 孫子の兵法とは、古代中国春秋時代(紀元前八C〜五C)に呉王に仕えた孫武によって書かれた最古の兵法書である。南方の僻地にあった小国の呉が大国楚に五度の戦いを挑み、全勝し、都を占領するに至ったのも、多くは孫武の軍略によるところが多い。
  日本においては、武田信玄の「風林火山」をはじめ、今川義元、上杉謙信、織田信長など戦国時代の名だたる武将が尊重し、江戸末期にも吉田松蔭、西郷隆盛などが重んじた兵法であるが、近年は経済における事業戦略の応用として注目され、多くの解説書が出ている。
  孫氏曰く、兵(戦争)は国の大事(将来を決する重要事項)なり。死生の地(国民の生死)、存亡の地(国家の存亡)、察(さっ)せざる可(べ)からざるなり(徹底的に研究する必要がある)。【始計篇】
  これを現代の経済に置き換えると、「経営は事業体の将来を決する大切な事項である。スタッフの将来、事業の繁栄を望むのであれば、自社の経営についての研究を徹底的にする必要がある。=行き当たりばったりの経営では生死にかかわるので、しっかりと自社や環境を研究して、計画を作成し、行動せよ」となる。
  孫子も活用次第では現代経営の教書になる。
●2004年8月号掲載




2 彼を知り己を知らば・・・



 
 孫子曰く「彼を知り己を知らば百戦危うからず」『敵を知る』=ライバルを知る。顧客を知る。『己を知る』=自分の現在の力を知る。そうすれば、負けるような戦いはおのずと避け、勝つ見込みが充分な場合は、迷いも無く全力で当たる事ができる。「勝つかも知れない」と思うのは、情報が充分でない証拠である。勝つかも知れない=負けるかも知れない。である。これはギャンブルであり、勝率は低い。「彼を知らず己を知らば一勝一敗す」敵を知り自力を知らなければ、勝率は五割である。「彼を知らず己を知らざれば毎戦必ず危うし」敵も自力も知らなければ、勝率は無いと同じである。
  孫子は、その兵法で、負けない為にどうするか?と言う課題に取り組んでいる。
  ここに現代の経営に対するヒントが潜んでいる。@相手を徹底的に調査する。A自分の力を徹底的に調査する(第三者評価)。B勝つか負けるか定かでない戦いはしない。C勝ちが確定しているタイミングを逃さずに行動する。D小さな勝ちを重ねて、やがて大きな相手に比肩する。
  現代の中小企業経営者が陥る点は、この「己を知る」である。ある人は過信し、油断している。ある人は謙虚過ぎて、自信と機会を失っている。
  お世辞も偏見も無い外郭からの評価を得るのはなかなか難しい時代であるが、常に気を配り、確固たる自己評価を得て欲しい。
●2004年9月号掲載



3 兵は詭道なり・・・






 
 孫子曰く、「兵は詭道なり」(始計編)
  兵=戦略。詭道=騙す方法。つまり、戦略とは相手の思いもよらない事を実行して、初めて効果が上がる。と言っている。
  こう解説すると、何か、ズルい事の様に感じる方もおられるでしょうか。
  しかし、当時の孫子が奉公していた国は、とても弱い小国だったのです。
  その小国が、周囲の大国に正々堂々正面からの定法で挑めば時をおかず滅亡するのは目に見えています。
  この弱小国を小規模事業者にたとえて下さい。周囲の大国は、大企業です。
  小規模事業者は大企業に進出されたら、黙って廃業しなければならないのでしょうか?
  家族を守るため、何らかの手を打たなくてはなりません。
  その最後の手段が、常識の範囲であれば、大企業の予想の枠を出ず、徒労戦略として力を弱めるだけに過ぎないのです。
  大企業が予想だにしない戦略。小さな事業者にしか考えられない戦略。つまり相手が思いもよらない詭道こそが、生き延びる手段なのです。
  相手のガードの弱いところを見つけ出し、相手に隙があるうちに突き、大きなダメージを与え、且つ、利益を得、経営力を高める。
  このような戦略を繰り返し、相手を弱め自分の経営力を更に高める。
  これこそが弱小国の宰相であった孫子が生き延びる唯一の道であり、勝ち続ける事が出来た所以なのです。
  詭道は決して卑しい行為でなく、大きな相手も予想だにしない優れた戦略です。
  自分達の事業は小さいからと言って諦めず、自分達にしか出来ないことを、面倒でも見つけ出す事が大切なのですね。
  遥か昔からのメッセージ。今の日本の中小経営者には力強い言葉です。
●2004年10月号掲載



4 風林火山の後の二句






 
 孫子曰く、「疾(はや)き事、風の如し。閑(しず)かなる事、林の如し。侵略する事、火の如し。動かざる事、山の如し」「軍団機動においては風の如く敏速であれ。ゆっくりと前進する時は林の如く堂々とあれ。襲撃・略奪する時は火の如くあれ。一度軍を止めたら山の如く毅然(きぜん)とあれ」
  武田軍団の旗印として有名な「風林火山」ですが、実はこれにはあと二句あるのです。「知り難き事、影の如し。動く事、雷の如し」「秘密の行動をする時は人知れず不可解であれ。一度攻撃を発動したら稲光の如くあれ」
  風林火山=武田信玄と言われますが、実はこの後ろの二句を実際に行動に移したのは、桶狭間(おけはざま)の戦いでの織田信長でした。
  信長は四万とも云われた今川軍の進軍に、篭城も決戦も決めかねている様子で、家老達に「うつけ殿」と陰口を叩かれていました。
  しかしその時、信長は側近の森、簗田など数名に今川軍の詳細な情報を探らせていて、その報告をうつけを装って待っていました。実は家老の中に今川に寝返っていた者が居る事を知っていたからです。
  なす術の無い信長と云う情報を聞いていた今川義元は、大きな油断を抱いて桶狭間に入りました。
  報告を得た信長は、電光石火(でんこうせっか)の如く急襲し、義元の首を上げました。
  敵の倍する軍を以って攻撃せよと言う孫子の兵法どおりの行動をした義元に対し、無策の中の策、兵は詭道(きどう)なりを実践し、風林火山の後追い二句を実行した信長。日本の戦国時代は正(まさ)しく孫子の兵法が駆使され、それをより深く応用した者が勝利を得ました。
  温故知新。古きを暖め、新しきを知る。
  新たな時代に向けて混沌(こんとん)とした今を生き抜くために参考になる古(いにしえ)の教えです。
●2004年11月号掲載



5 兵の形は水に象(かたど)る・・・・・ 【虚実篇】






 
 孫子曰く、「兵の形は水に象る。水の形は高きを避けて低きに赴く」「攻めるべきところは、敵の頑強な正面でなく、油断している弱き(攻めやすい・手薄な)場所である」
  敵と対峙し、敵が予測している正面からの勝負は、敵の最も強い部分であるがゆえに、味方兵力の損傷も甚大です。
  孫子の兵法での常識は、兵の損耗を最低限に抑える事です。主力同士の正面決戦は互いに兵を損失します。
  油断している部分を総力を以って攻撃すれば、敵の被害に対して、味方の損傷は少なくすみます。少ない損耗で、敵の総力を徐々に欠くのです。
  総合的に戦力を欠かれた味方の正面守備力は、弱まった周辺への配備により、明らかに弱体化します。
  弱体化した相手に降伏を受け入れさせれば、兵の損耗はさらに抑えられます。
  全兵力を賭けて一戦一戦に勝負をかけるギャンブル的な発想ではなく、自国に倍する四方の敵を確実に打ち砕き、更にその向こうに待ち構える新たな敵にすら備えると言う、壮大な計画に基づく考え方なのです。
  敵意を見せる正面の敵を全戦力を持って打ち破った時、損耗した国力の横っ腹を、新たな敵に突かれたら、それで全ては終わりになるのです。
  強情で、意地で、相手の思うとおりの戦争をするのではなく、相手が予想もしない弱い場所を、水が高きから低きに流れるが如く、攻める。自然の理に従えば、損耗は最小限に抑えられる。
  新しい販売業態の台頭で多くの昔ながらの商売が影響を受けていますが、彼らには出来ないサービス、揃えられない商品は必ずあります。それは、強い正面の敵の弱い部分を探す戦略と同じです。
  相手が自分を弱いと思っている間に、勝つべき準備を怠りませんように。
●2004年12月号掲載



6 迂直(うちょく)の計 【軍事篇】






 
 『迂を以って直となし、患を以って利となす』
  プラモデルで船を作るとき、ただ設計図を見てその通りに作るのではなく、実際の映像を見たり、航路を調べたり、あらゆる情報を得て多くの実物写真を参考に作成する方が、よりリアルに作成できる。「迂を以って直となす」とは、物事はスピードだけが重要なのではなく、招く結果・効果こそが求められるべきものであると言う大きな意味を含む。
  敵と戦う時、不備なまま、ただ闇雲に正面から挑むのではなく、根回し、仕掛け、潮時の判断など、勝つ準備をしっかりと行った方が、結局は損耗の少ない勝利に繋がる。
  日本の『急がば廻れ』とほぼ同じ意味である。「患を以って利となす」とは、例えば自らに弱点がある場合、それを単なる弱点として置かずに、敵の知らぬうちに、それを利に繋げる工夫をすることが肝心であると言う意味。
  敵が我が方の弱みと理解している部分に油断を以って攻め込む時、敵の思いもよらない様々な仕掛けを備えてやれば良い。
  弱点と言う場所は、ただ置いておけば、敵の格好の餌食となるが、敵に知れず備えをすれば、敵はほぼ予想通り、罠があるとも知らずにその場所に襲い掛かってくる。
  失敗や弱点を長所に変える事。または人が嫌がり避ける場所に自らが赴き、相手の虚を突く事。
  日本の『災い転じて福となす』と似ている。
  何度か書き記すが、孫子が軍師として属していた国は、周囲を大国に囲まれた弱小国であった。
  真っ正直に正面からぶつかれば、霧のように消えてしまう小国を、考え得る限りの計略を用いて支え、その様々な手法が二千年以上の経った現代の小国の主、我々零細事業者に勇気を与えてくれている。
●2005年1月号掲載



7 上兵(じょうへい)は謀(はかりごと)を討つ 【謀攻篇】






 
 孫子曰く「上兵は謀を討つ、其の下は城を攻む」
  孫子はその兵法の中で、戦略、諜略の大切さをうたっている。
  戦が始まる前に勝利できれば、自兵を損ねないばかりか、敵兵をも丸ごと自国戦力として取り組む事が出来るからである。「謀を討つ」とは、敵の戦略、諜略を事前に知り(確かな予測・事前調査)、それを無力化させる諜略を実行する事である。実践の前の諜報合戦である。それを可能にする将を上兵と呼んでいる。
  例えばライバルのスーパーマーケットが毎月決まった日に特売のチラシを入れているとすれば、前日に、競合相手が特売すると予測される商品チラシを入れる。その価格に魅力があれば、多くのお客様は自社で前日に買い物を済ませ、翌日配られるライバルのチラシの効果は著しく低下する。
  この場合、事前にライバルのチラシの発行日や目玉とする商品の情報収集・傾向予測が重要な鍵となる。
  その戦略を実行できる者が孫子の言わんとする上兵=有能なスタッフである。「其の下は城を攻む」とは、敵の要塞、最も強い守りに正面から戦いを挑む事であり、最初から多くの損害を覚悟の上で、自兵、敵兵の多くを損失する破壊行為である。鉄壁の守りの城を正面から攻め、勝利し、手に入れても、城郭は破壊され、そこを守るために、再度兵を捻出し、さらに修復と言う労力を強いられる。
  例えば、ライバル店の販促戦略に、あわてて商品の値下げをしたり、無計画なサービスを急遽行えば、なんとか顧客は維持できても、結果で大きな損失を生む。
  同じ勝利であれば、城も敵兵も、無傷のまま手に入れるほうが、経済的にも人材的にも遥かに良い結果をもたらす。「無謀」とは何の事前努力もしないと言う事である。
●2005年2月号掲載



8 将とは、智、信、仁、勇、厳なり 【始計篇】






 
 孫子曰く、将とは、智、信、仁、勇、厳なり。
  孫子はリーダーの持つべき器量に触れている。その要素とは、即ち、知謀、信義、仁慈、勇気、威厳。「智謀」とは、敵を謀りに架ける知能、ここぞと言うときの決断力=あらゆる企画を考え出し、状況を良く判断できる知識と、機会を逃さず英断できる者。「信義」とは、規律・礼儀・約束を守る信頼感、部下を思いやる心=常識・マナーを備え、且つ、部下に対する優しさを兼ね備え、信頼を得る者。「仁慈」とは、大衆に推される人気、カリスマ性、博愛性=先天的・後天的なリーダーとしてのあらゆる資質を兼ね備えたる者。「勇気」とは、何事も恐れず、矢表てに立って戦う強い心=部下よりもつらい立場に立って尚、頼りがいのある行動の取れる者。「威厳」とは、言わずとも伝わる風格、内より湧き出づる風格=経験や実績、信念、正義感、大義名分等に裏付けされた自信と雰囲気を有する者。
  孫子の言う「将」とは、現代に置き換えれば経営者となる。天子・諸侯に代わり、実際に戦略を指揮する者である。
  ここで特に触れたいところは、「仁慈」を有するリーダーシップである。
  経営者は、お金と意思があれば誰でもなれる。しかし良きリーダーとは人気やカリスマ性を有し、周囲から推される者である。
  現代は経営者よりも部下が保護される。それに不満もあるが、未熟な部下には無理を言わず、今に留めず、今すべき最善道を与えるのも将の役目だと考える。
  人を大切にするリーダーとは、部下をストレス無く活躍させる者である。そのリーダーの下で働き甲斐のある気持ちを抱かせる者である。良きリーダーの下、成績はおのずと向上する。
●2005年3月号掲載



9 勝兵は先ず勝ちて然る後に戦いを求む 【軍形篇】






 
 争いのストーリーでよく使われる言葉「争い事は、始まる前に決着がついているものだ」
  争う前に勝つ?不思議な言葉の様に思えます。が、以前紹介した「敵を知り己を知れば百戦危うからず」の様に、戦う前の準備(態勢・情報・防御)の出来不出来が、その後の勝敗を決するのです。
  孫子の仕える国は小国であり、兵の損耗は即ち亡国を意味しました。小さな負けでも大きな痛手をこうむる状況だったのです。現代の中小事業者とどこか共通するところがあります。だからこそ、兵を損ねず、負ける戦はせずと言う姿勢を貫いたのです。
  勝つためにはと言うよりもむしろ、如何に負けずに戦うか?と言う究極の戦法なのですね。
  小さな負けが重なれば、国が滅びる大きな痛手となる。しかし、小さな勝ちでも、それが重なれば大きな勝利と同じ結果をもたらす。
  負ける戦は招かず、相手の挑発に乗らず、防備を怠り無く、無力と思わせつつも常に兵を養い、策をめぐらせ、好機を逃さず、的確な攻撃で相手を損耗させる。そんな負けない戦=必ず勝つ戦をせよ。と言うのが、この兵法の真髄なのです。
  勝兵とは、良く準備をし、最初から勝つと解っている戦を、自分の予想通りに実行する者の事を言う。
  対して敗兵とは、先ず争って、慌てて勝機を掴もうとする。
  運気だけに頼る準備の無い者を、結果の出る前から孫子は敗兵と言うのです。
  日本でも、いにしえより「段取り
  割」と言います。業種によって八だったり九だったりしますが、準備の大切さを伝えています。
  現代の社会で、準備とは計画の事。商売ならば事業計画です。そしてその計画は、多くの情報と知識をもとに組み立てられます。それはIT社会と呼ばれる現代も、黎明の孫子の時代も、なんら変りの無い、普遍の常識なのです。
●2005年4月号掲載



10 名君賢将の動きて人に勝ち・・・ 【用問篇】






 
 孫子曰く『明君賢将の動きて人に勝ち、成功、衆に出づる所以のものは、先知なり』
  孫子の時代、名君や猛将がたびたび勝利を収め、華々しい名声を得るのは、その見えない部分に、相手に先んじて敵情を探り出す努力が隠れているからです。
  用間篇の「間」とは間者、つまり諜報活動の事です。
  日本の戦国の時代は情報を集める場合に忍者や町人に扮した間者を使い、敵地の人心、兵力、城内の詳細などを探らせました。
  では、現代における間者とは何でしょうか?
  産業スパイと呼ばれる存在もその一つかも知れません。が、現代は情報が溢れています。秘密裏に探るリスクを犯さずとも、インターネットや情報サービスから幾らでも情報を得られる時代です。
  逆を言えばこの時代、情報を扱えないという事が如何にリスクが高い事であるかと言う警告にも取れます。
  人が一歩足を踏み出す時、無意識の内に安全な場所を探り出し、歩きます。
  戦略もそれと同じで、敢えて茨の道を歩む必要はありません。
  目的を遂行するために必要な情報を集めたか、また集めた情報が、今後の計画にどれだけ役に立つものなのか……。情報が足りなければ戦の勝敗が見えない。見えない戦は行わない。
  つまり勝つと解っている戦いだけを実行するから名君賢将は常勝なのです。
  じゃあ、不意に攻められたら?って疑問が出ます。
  彼らは敵の情報をしっかりと得ているから、不安無く守れるのです。攻められるのが不安なのは相手の手の内が見えないからです。
  戦法が見えている襲撃は恐れるに足りません。
  戦う前に、どのような準備をし、どのような戦略を練るか。その計画は、相手の手の内の情報なくして立てられません。
  現代の敵情、それはライバル業者のみならず、顧客市場も大切な情報です。
●2005年5月号掲載



11 善く攻むる者には・・・ 【虚実篇】






 
 昔から「攻撃は最大の防御なり」と言われます。つまり、相手を防御に没頭させ、反撃する隙を与えないということです。
  このことわざにもつながる兵法が、この「善く攻むる者には、敵、その守る所を知らず」です。
  ここで大切なことは「善く攻むる者」の解釈です。
  一般に「よく攻める者」とは、現代語で「度々攻める者」という解釈にもなりますが、兵法の文字(漢字)にも現れているように「善く」=「上手く」の意味であることを見逃してはなりません。「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」とは訳が違います。上手く攻めるのです。
  上手くとは、相手の予想を外す攻め方を言います。
  予想だにしない攻撃を受けた相手は混乱します。敵が崩れた体制を立て直す前に、さらに予想だにしない攻撃の二派三派を繰り出します。臨機応変・変幻自在・君子豹変の如く、相手に理解させる時間を作らせません。
  敵はただただ混乱し、守るべきところが解らなくなり、結果的に短時間で崩されてしまいます。
  求める結果がひとつでも、相手の情報を常につかみ、守勢や出方に応じて変化できる、幾通りもの攻め方・手段を用意しておく事が、戦いを有利に運ぶことのできる道なのだと説いています。
  手段は決して一つでは無く、自らの戦略にその時々に応じる事のできる柔軟性が必要なのですね。
  十一回にわたり連載させていただきました「孫子の兵法」は、今回で終了します。多くのご支持、ご指導を賜りまして、本当にありがとうございました。
  次回青色NEWS7月号からは「竜馬語録」を掲載させていただきます。
  一介の浪人でありながら、風雲の幕末を駆け抜け、薩長連合や大政奉還の立役者となったものの、明治改元の前に三十三歳の若さでこの世を去った坂本竜馬の大いなる志をご紹介します。
●2005年6月号掲載




 

小田原青色申告会
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